スイーツよりもスイートな

「ローザリア!」
バタンと扉が開いたかと思うと、頭の上から降ってきたのはアンジェリークの声。
突然なのも、ハイテンションなのもいつも通り。
別に驚くことでもないと、ロザリアは執務机に座ったまま、書類から顔をあげずにいた。
「なによ。 あんた、また抜け出してきたんですの?」
わき目も振らず、言葉だけを返したが、今度は返事がない。
怪訝に思ってようやく顔を上げたロザリアは、机の前で仁王立ちしているアンジェリークと目が合った。

「な、なんですの?」
ロザリアが怯んだのには意味がある。
目の前のアンジェリークはにっこりと笑っていた。 
そして、頭に大きな真っ黒のとんがり帽子をかぶり、これまた黒いヒラヒラのワンピースを着て、ご丁寧に手にはステッキまで持っている。
「…魔女?」
目を丸くして思わずつぶやいたロザリアに、
「ピンポーン! 大当たり!」
アンジェリークはくるりとその場でターンして、ヒラヒラのスカートをなびかせたかと思うと、ずいっとステッキをロザリアに突き出した。
「トリックオアトリート!!!」

「…そうね。 今日はハロウィンでしたわね。」
「もう! ロザリアったら!
 今日は仮装パーティするって、言ったでしょ~!」
ロザリアに華麗にスルーされて、アンジェリークはふくれっ面だ。

「ええ、忘れていましたわ。
 それにまだパーティの時間には早いのではなくて? あと少しきりのいいところまで、仕事をさせて頂戴。」
ようやくアンジェリークの奇行に合点のいったロザリアは、再び書類に目を落とそうとした。
ところが。

「トリックオアトリート!!!!!」
アンジェリークは叫んだきり、一向に引く気配がない。
ふう、とロザリアは一息つくと、アンジェリークをまっすぐに見返した。

「今はありませんわ。 パーティの時には持っていくつもりだから、ちょっと待ってなさいよ。」
パーティのドレスコードは仮装になっている。
だから、ロザリアも執務が終わったら、私室に戻って着替えるつもりでいたのだ。
当然お菓子もそこに置いてある。

「ふ~~ん。 ないんだ。」
ニッコリを通り越したアンジェリークの笑顔は・・・・にやーっとしたものに変わっていて、むしろ恐ろしい。
ロザリアの背中がすうっと冷えた。
アンジェリークがこんな顔をしているときは、本当にロクなことを考えていないからだ。

「じゃあ、いたずらしちゃうから!」
ハッと身構えたロザリアは、机の上の書類の束をすぐにまとめて引き出しにしまい込んだ。
それからペンやインクの類もアンジェリークの手に届かないように、机の端っこに置き換える。
とりあえず執務の邪魔だけはさせられない。
けれど、アンジェリークはそんなロザリアを見て、
「うふふ~~~!!! いたずらしちゃうんだから~~~!!!」
笑いながらステッキを振り回し、スキップで補佐官室から出ていってしまった。

「なんなの? 一体…。」
後に残されたロザリアはしばらくポカンとしていたが、このくらいならもう慣れっこだ。
また黙々と執務を続け、きちんと予定通りをこなしていった。


着替えのため、私室に戻ったロザリアは、朝となんとなく室内の雰囲気が違う事に気が付いた。
きょろきょろと部屋を見回して、「あ!」と声が出る。
部屋の隅のポールハンガーに掛けてあった、今日の仮装の衣装がそっくり無くなっている。
黒衣の伯爵夫人をイメージしたアンティークなロングドレスはおろか、マントからベールまで、一式そっくり、だ。

「悪戯って、このことでしたのね! 全く、アンジェったら~。」
つい尊称で呼ぶことも忘れて、ロザリアはイライラとクローゼットのノブに手をかけた。
隠すとしたらこの中だろう。
急いで探し出さなければ時間がない。

「え?!」
ところがクローゼットを開けて、ロザリアは絶句した。
いつもならたくさんのドレスがかかっているその中が、なんと空っぽになっていたからだ。
パチパチと瞬きしてみても、何一つかかってはいない。
一切合切のドレスやアクセサリーが忽然と部屋の中から消えている。
ふう、とため息をついたロザリアの目に留まったのは、テーブルに置かれていた箱。

「やっぱりこれってことですわよね。」
なんとなくその先が予想できて、ロザリアの気持ちが重くなる。
それでも渋々箱を空けると、そこにはやはり予想通りのモノとメッセージカード。
『パーティにはこれを着てきてね!』
ロザリアは箱から布を取り出し、広げてみた。
ドレス、というにはあまりにも布の量は少なく、一緒に入っている飾りもどう見てもふざけているとしか思えない。
けれど、これ以外に選択の余地はないのは明らかだ。
もし、補佐官服のままで行ったとしても、結局は追い返されて着替えさせられるか、ひょっとするとこれ以上に恥ずかしいものが用意されているかもしれない・・・・。
グッと覚悟を決めたロザリアはほとんど自暴自棄でその衣装にそでを通したのだった。



パーティ会場は聖殿の大広間。
私室から大広間までの道のりを、ロザリアはいつもの倍以上の時間をかけて歩いていった。
なぜかといえば、答えは単純。
スカート丈が短いのが気になって、大きく足を踏み出せないからだ。
「もう!」
目に見えない親友に悪態をつきながら、まくれてくる裾を何度も引っ張る。
けれど、ワンピースタイプのドレスになっているせいで、下を引っ張れば上が開いきて、今度は胸の谷間がきわどい。
結果として、何度も上下に引っ張り合うことになって…思うように歩けないのだ。
それでも何とか広間にたどり着き、ドアをくぐったロザリアは背筋をぐっと伸ばした。
こうなったら、動揺していないふりで、アンジェリークにぎゃふんを言わせなければ気が済まない。
ヘンなところで生来の負けず嫌いが顔を出していた。


「わお、ロザリア、ずいぶん大胆だねぇ。」
ぴゅうっと口笛でも吹きそうなオリヴィエに、ロザリアは顔を赤らめた。
「あなただってずいぶん目立ちますわ。」
オリヴィエの仮装はおそらくオオカミ男だろう。
たっぷりのファーのついたドレスには立派な尻尾があるし、頭には獣耳までついている。
「まね。 せっかくの仮装パーティだもん。 楽しまなきゃ。」
お菓子の入ったバスケットを目元まで掲げて、パチンと大きなウインク。
妖艶な笑みはオオカミ男というよりは、九尾の狐の方が近いかもしれない。

「あんたは、…小悪魔?」
まさか淫魔じゃないよね?という言葉を飲み込んで、オリヴィエはロザリアの全身を眺めた。
真っ黒なマイクロミニのワンピースに頭にはつの。 ハートの尻尾までついている。
しかもその露出度たるや…。
ロザリアとは思えないチョイスに、オリヴィエも内心で驚いていた。

「だと思いますわ。 実はアンジェリークに無理やり着せられたんですの。 
 わたくしには、似合いませんでしょう? …恥ずかしいですわ。」
「似合ってなくはないよ。」
むしろ似合いすぎてて、その方が問題だ。
オリヴィエはずっと背後から感じている強い視線に肩をすくめた。
そんなに気になるなら、すぐにそばに来て、番犬よろしく見張っていればいいのに。
ヘンなプライドが邪魔しているのか、彼は一向に近づいてくる気配がない。

「ふうん。 アンジェがね。 どうやって騙されちゃったの?」
「それはハロウィンですもの。 お菓子と引き換えに、ですわ。」
「きゃは☆ 陛下らしいね。」
「笑い事じゃありませんわ。 肝心の本人はあの調子ですのよ?」
少し離れたところでアンジェリークはルヴァと楽しそうに笑っている。
魔女のアンジェリークと同じく魔法使いのルヴァ。
さりげないお揃いがカップルらしくて微笑ましい。

「トリックオアトリート?」
オリヴィエの問いかけに、ロザリアはほほ笑んでお菓子を一つ手渡す。
そのまま、ロザリアはしばらくオリヴィエと話し続けた。
女王候補のころからオリヴィエは親しい守護聖の一人で、ロザリアも気兼ねなく話ができる。
特にこんなおかしな恰好をしていると、オリヴィエの存在は安心だ。
チラチラ向けられる視線からさりげなく守ってくれるような気遣いもありがたい。
でも。

ロザリアはオリヴィエの肩越しに遠く見える人影に視線を向けた。
シャンデリアに煌めく緋色の髪。
バンパイヤの仮装なのか、真っ黒なマントに身を包んでいても、彼の周囲はなぜか明るく輝いているように思える。
相変わらず女性たちに囲まれた華やかな輪の中心。

「…どうかした?」
ついぼんやりしたのか、オリヴィエに怪訝そうに尋ねられて、どきりとする。
「なんでもありませんわ。」
そう言って、ロザリアはオリヴィエがくれたキャンディを口に放り込んだ。
偶然とはいえ、とても酸味の強いレモン味。
思わず顔をしかめたロザリアに、オリヴィエがくすくすと笑った。


パーティが進むにつれて、人の動きが活発になってくる。
ロザリアの周囲にもいろんな人が入れ代わり立ち代わり現れては、お菓子を交換していった。
いつもと違う雰囲気のロザリアに、驚く人。 褒める人。
いちいち説明するのも面倒で、ロザリアはただにっこりとお菓子を渡すことに専念していた。
「トリックオアトリート。」
今夜で何度繰り返したかわからない。

ちょうど籠の中のお菓子が無くなったところで、パーティはお開きになった。
今夜のパーティの招待客は守護聖をはじめとした聖殿や研究院の職員くらいだから、後片付けも簡単だ。
ロザリアは女官長にいくつか指示を出すと、大広間を後にした。
すぐに帰って補佐官服にでも着替えなければ落ち着かない。
けれど廊下を出てすぐ、ロザリアの足が止まった。
そういえばアンジェリークときたら、パーティの間中、ルヴァとイチャイチャしていて、こんな悪戯をしたロザリアに何の言葉もなかったのだ。
無事に終わったとはいえ、今夜の悪戯はちょっと懲らしめてやらないと気が済まない。
踵を返し、カツンとヒールを鳴らした、その時。
ロザリアの目の前に大きな影があらわれた。



「トリックオアトリート。」
からかうようなバリトン。
耳慣れた声に思わずロザリアが顔をあげると、にやりと笑みを浮かべたオスカーが立っている。
ギョッとしたロザリアに、もう一度。
「トリックオアトリート。」
オスカーが尋ねてきた。

どうして今になって。
ロザリアは目の前のオスカーをじっと睨みつけた。
パーティの間中、オスカーはロザリアに全く近づいてこなかった。
たくさんの女性たちに囲まれて、楽しそうにしていたオスカー。
その姿はまさに全宇宙の女性の恋人で。
補佐官と守護聖の立場から公にしていないとはいえ、愛を誓ったはずなのに、それを微塵も見せずにいるオスカーを腹立たしく感じていたのだ。

「お菓子なんてありませんわよ。」
ぷいっとロザリアが顔をそむけると、オスカーはくつくつと楽しそうに笑っている。
「知ってるさ。 それを待っていたんだからな。」
「え?」
「お菓子がないなら、悪戯するしかないだろう?」
オスカーの氷青の瞳がすっと細められたかと思うと、近づいてくる唇。
ロザリアは慌てて、その唇を両手で押しとどめた。

「わ、わたくしだって言わせていただきますわ。」
「なにをだ?」
「ト、トリックオアトリート!」
とにかくこの場をしのがなければと、焦ったロザリアの口からつい飛び出したのは、さっきまで何度も言い続けた一言。
別にやけくそではなく、オスカーが手ブラだったのはちゃんとわかっている。
だから、彼は『お菓子がない』というしかない。
そうしたら、『じゃあ悪戯するしかありませんわね。 さあ、目をつぶってくださいませ。』と、その隙に逃げ出すつもりだった。
けれど。

「ん!!!!」
オスカーからの返事は、突然重ねられた唇で消えてしまって。
しかも、ゆっくりと官能を引き出すような熱いキスに、いつの間にか、ロザリアの方が膝を震わせて、オスカーにしがみついていた。

「ず、ずるいですわ。 お菓子がないなら、いたずらされるのは、あなたの方ですわよ。」
まだ整わない息のまま、ロザリアはオスカーを睨んだ。
けれどその青い瞳は熱で潤み、見つめられるとゾクッとするような色気をたたえている。
オスカーは薄く笑みを浮かべ
「今のは、お菓子のつもりだったんだぜ。」
首を傾げたロザリアの耳元で囁いた。
「お菓子みたいに甘いキスだっただろう?」

「そ、そんな!」
「じゃあ、君もやってくれるか? 俺はどっちでもいいぜ?」
くつくつと笑ってオスカーが目を閉じる。

悪戯としてキスをされるのも。
お菓子代わりにキスをするのも。
結局は同じで、オスカーの思うつぼ。
それに、いくら彼が目を閉じているとはいえ、自分から唇を重ねるのは…恥ずかしい。

立ち尽くしたままのロザリアに、オスカーが目を開ける。
「タイムリミットだ。 お菓子がないなら、悪戯するしかないな。」
「も、もうちょっと、お待ちになって!」
「ダメだ。 …俺だって限界なんだぜ? 小悪魔なレディ。」

うろたえているロザリアを、オスカーはひょいと担ぎ上げると、肩に乗せた。
「なにをなさるの!」
足をばたつかせたロザリアのヒップにオスカーの手が触れる。
「そんなに暴れると、スカートがまくれるぞ。 見えてもいいなら別だが。」
「!!」
ハッと手でスカートのすそを抑えたロザリアに、もう抵抗の余地はない。
そもそも大声で叫ぼうにも、秘密の仲がバレて困るのはどちらかといえばロザリアなのだ。

「オスカーのバカ! 下ろして!」
小声でいくら罵ったところで、オスカーはまるで意にとめない。
軽々と抱え上げたまま、まっすぐにロザリアの私室に向かうと、ベッドにふわりと彼女の体を落とした。

「今夜はハロウィンなんだぜ。 
 悪戯しない代わりに、お菓子よりも甘い君を食べさせてくれたっていいだろう?」

やっぱりどっちも同じだ。
結局、彼には敵わない。
ロザリアの声は当然のようにオスカーの唇に塞がれて。
「甘い…。」
呟いた声はどちらのモノだったのか。
ハロウィンの夜はまだ始まったばかり。


FIN
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